第2章 大学2年生①

 

2019年の年末、紅白を観ていた僕はとあるニュースを目にした。「中国で未知のウイルス発見か」。この時はまだ、海を隔てた国での出来事という程度にしか思っておらず、まさかそのウイルスが瞬く間に世界中を脅威に晒すことになるとは思いもしなかった。


新型コロナウイルスと名付けられたそのウイルスは日本国内でも猛威を奮い、緊急事態宣言が発令されるなど、不要不急の外出自粛を要請された。自分を含めたくさんの人の日常生活が根本から一変し、自らの生き方や人生と向き合わざるを得なくなったと思う。春休みは感染対策をしつつH君と山陰・山陽を旅するなどのことができていたが、事態は悪化の一途を辿り、新学期はオンライン授業に切り替えて開始された。キャストの都合でゴールデンウィークに撮影を予定していた『似た者同士』も、サークル活動の停止によって再び延期を余儀なくされた。家に居ながら何かできないかと考え、星野源の「うちで踊ろう」に映像を付けてみる、オンラインで友人と通話して悩みを共有する、映研に来た依頼を通してYouTubeのバラエティ動画の編集をする、月15本をノルマに映画を観るなどをして日々を過ごしていた。特にオンラインを活用することで違う学校に進学した友人と久々に話ができ、その点は非常に良かったと思う。またそんな日々を過ごすうちに、「考える余地」に対する自分の思考にも変化が訪れた。コロナウイルスの流行によって多くの人が答えのない問いを抱えることになった。僕は考えることの重要性を確信したが、同時にこの混沌とした状況で答えのない問いに向き合い続けることは精神的にとても負担になることも分かった。その際に重要となるのが、あまり考えることなく楽しめるエンターテインメント性だと僕は結論付けた。そのように考えたきっかけとして、SNS上で心無いツイートを見かけ、とても胸糞が悪くなったことがあった。何か底抜けに明るいものが観たいを思った僕は、『翔んで埼玉』を観た。とても面白かった。もちろん『翔んで埼玉』にもテーマ性はあるのだが、その時の僕はそんなことを考えずただただ楽しんだ。正解のない問いについて思いを巡らせることも大事だが、そのためにはエンターテインメント性とのバランスが重要であると気づいた瞬間だった。


そうしているうちに夏休みが近くなり、活動制限の動向が注目されたが、感染者数の減少に伴ってサークル活動が部分的に再開されることになった。僕は急いで『似た者同士』の撮影に向けて準備を進めた。そして迎えた夏休み。僕はいの一番に撮影を敢行した。感染対策を徹底して行い、1日、また1日と慎重に進めていった。しかしここで大きな問題が発生する。感染への不安からキャストの一人が降板してしまったのだ。自分なりに対策はしていたものの、撮影を進めるうちに緩みが出てしまったのかもしれない。撮影を一旦中断し、すぐに代役を探すと共に撮影方法を見直し、一部のシーンをリモートに変更した。その時ZOOMの背景を利用した効果的な演出方法を思い付き、結果的に困難をバネにしてより良い表現を見出すことに成功した。そうして無事クランクアップを迎え、高校時代の親友に音楽を、H君にキャッチコピーを付けてもらい、遂に2本目の監督作『似た者同士』が完成した。恋人のタクヤと同棲しているユウは、映画監督を目指しているがヒモ状態のタクヤに手を焼いているものの、彼を思うあまり強く言えないでいた。そんな状況に業を煮やしたユウの妹アヤは、ユウを家から連れ出してしまう……。主題歌に高校時代の先輩のバンド・響々(ゆらゆら)さんの「あの日の音」を提供して頂いた。YouTube上にURL限定公開したところ、1週間で200回再生を超え、多くの方に観て頂くことができた。構想から約1年、スタッフやキャストの方々をはじめ多くの人に支えられて完成した、僕にとって過去最大規模であり渾身の一作だった。