第4章 大学4年生②

 

5月の頭に、昨年開くことができなかった高校の同窓会が開かれた。僕は昨年の同窓会ビデオを少し編集し直し、2022年バージョンとして上映した。笑いやどよめきなど、直接反応が見られたのがとても嬉しかった。久々に友人たちと話ができ、とても楽しいひと時を過ごすことができた。ただ、亡くなった同級生について話を聞こうとした中で、返事が返って来なかったある人とは目を合わせることができなかった。大学生として最後の学年が始まり、僕はあの企画について結論を出さなくてはいけない時が迫っていた。僕は言葉を選び、お母様との橋渡しを担ってくれていたKさんにも見てもらいながら、お母様に文章を書き、送った。「在学中に制作することは断念しようと思います」。それが僕の結論だった。お母様を怒らせてしまったあの日から、僕はずっとこの企画をどうすれば良いのか考えてきた。今の僕には何が足りなくて、この企画を実現させるには何をすれば良いのか。僕には色々なものが足りていないけど、一番は「他者性」だと思う。相手の立場になって考える力。他者への想像力。「考える余地」によって育まれるに違いないと、他でもない僕が考えていたもの。それが僕には足りなかった。そんな状態ではこの作品を撮ることはできない、そう考えた。他にもコロナによって思うように働けず、十分な制作資金を集めることができなかったこと、脚本が満足のいくように改稿できなかったことなどもあって、たとえ無理やり実現させたとしても、納得のいく作品にすることはできず、それは自分だけでなく、元同級生やお母様をまたしても裏切ることになる。それだけは絶対に避けたいから、中止させてほしいとお母様に伝えた。ただこの企画は僕の一生の課題として胸に刻み、いつか僕が、今なら作れるという時が来たら必ず実現させるということも同時にお伝えした。数日後、お母様からご連絡を頂き、僕は近いうちにお線香を上げに伺うことを約束した。

 

 

 

 


……本当は、ずっと前から分かっていた。今の僕にはできないと。他者性もそうだが、僕には覚悟も足りていなかった。本気で映画制作に向き合う覚悟、人の死に向き合う覚悟、人と向き合う覚悟、自分自身と向き合う覚悟が。それがなかったから脚本にも手を付けなかったし、コロナを口実に資金を貯めることもしなかった。新作に着手したのも、在学中に実現は無理だと分かったからだった。僕は逃げた。あらゆるものと向き合うことから逃げた。僕は弱くて狡い、最低な人間です。


本当にたくさんの間違いを犯し、たくさんの人を傷つけてきた。取り返しのつかないことをした。申し訳ない。でも僕はようやく、自分に何が足りなかったのか、何がいけなかったのかが少しづつ分かってきた。これからは色んなものに真剣に向き合い、少しづつ足りないものを得て、罪を償っていきたいと思う。そしてその先で、再びこの企画に向き合う覚悟ができた時、必ず実現させたいと心から思っている。

 

 

 

 


さて、この一連の文章を書いている途中、僕はあることに気付いた。僕は自分の作品が訴えているメッセージを全く実現できていないということに。賞よりも大切なものがあるということを描いた『オンリーワン』を作っておきながら、賞に囚われて暴走するという有様。夢を叶えるための努力をしないと、取り返しのつかないことになるという自戒を込めた『似た者同士』を作ったにも関わらず、その後も努力せず、自主映画の道を諦めることになった。自分が作品で伝えたいことを一番達成できていないのは他でもない自分ではないか。本末転倒とはこのことである。だから今度こそ自戒となるように、この3年半を文章に残しておく。間違いに気づき始めた僕が今後再び道を誤りそうになった時、この文章が未来の僕を正しい道に戻してくれることを願って、この文章を締めようと思う。またもしこれを読んでいる方がいらっしゃったら、未来の僕が道を踏み外しそうになった時は、この文章を引き合いに出して遠慮なく叱ってください。お願いします。