第3章 大学3年生①

 

2021年1月。地元の成人式は無事行われたが、同窓会は中高共に開催されなかった。しかし僕が前年から作っていた同窓会ビデオをネット上で観られるようにしたことで、たくさんの同級生が高校時代を懐かしむことができたという反応をくれた。その裏で、僕はある企画を進めていた。


それは、高校時代のとある同級生と、その人に関する僕の経験に基づいたものだ。その人と僕は直接の面識はなかったが、クラスが近かったり、彼が人気者であったことから、一方的に認識はしていた。高校最後の文化祭が終わって間もない頃のことだった。彼は交通事故で突然亡くなってしまった。面識はなかったものの、同級生が亡くなったという事実に僕も動揺した。明日お別れの会が開かれるということが帰りのホームルームで伝えられた後、僕は放送部引退に向けて片付けをするため、放送室兼部室へと向かった。するとそこに一人の女子が訪ねてきた。亡くなった同級生と同じクラスだという彼女・Kさんは、彼のご家族に依頼され、僕にお別れ会の撮影をしてくれないかと頼んだ。僕はそういうことならと承諾したが、この時はまだ事の重要性を理解していなかった。お別れ会当日。カメラを片手に出席した僕は、そこに広がる光景を見て閉口してしまった。お焼香をする同級生の長蛇の列。その中には涙を流す人も少なくなかった。永遠に感じられたお経。泣き崩れるご家族。そして忘れもしない、棺にお花を入れた時の、お母様の言葉。「お顔を撮ってやってください」。僕は躊躇いながらも、つい数日前まで友達とはしゃいでいた同級生の動かない顔を撮った。霊柩車を見送るために移動した際、今までご家族と生徒の間を取り持っていたために感情を抑えていたKさんが、階段の踊り場で堤防が決壊したように咽び泣いているところを見てしまった。僕は先生に介抱されているKさんの横を通った。お見送りしてからのことは、正直覚えていない。放課後Kさんが放送室にSDカードを取りにきたことと、塾から帰る時、駅で同じクラスの友人に会ったことは覚えているが。乗客がまばらな電車の中で、僕は友人にこう言った。「僕は死を語るには甘すぎた」。僕はNコンに出す作品として、恋人が病気で亡くなってしまう男子高校生のドラマを作ったばかりだった。


それから約2年半。『初仕事』を観たことで、記憶の奥底に眠っていたこの出来事を思い出した。そして僕は思いついた。この出来事を映画にしよう、と。早速僕はKさんを介して連絡を取り、お母様の連絡先をもらった。お母様は息子を思い出す機会になればと、映画制作と取材に快く応じてくださった。ただどのようなものになるか想像ができないということで、僕は企画書と暫定版の脚本を作成し、お母様に送った。しかしこれらの書き方に問題があり、段々とすれ違いが生じていってしまった。僕は脚本は暫定版であること、取材を通して内容を詰めていくことを説明しようとしたが、ここでも言葉選びを間違え、お母様の逆鱗に触れてしまったのである。僕はお母様の気持ちを考えず言葉を発してしまったことを心から謝罪し、このままでは制作ができないと判断して企画の是非からもう一度考え直すことを伝えた。お母様からは、制作はしても良いが取材には応じられないという旨を伝えられた。

 

 

 

 


正直に言おう。僕は賞が欲しかった。

 


「死」というテーマに真剣に向き合おうとはしていたが、「死」と向き合った作品を作ることで、『初仕事』や新人監督特集で取り上げられた作品たちのように、社会的な評価が得られるかもしれないという極めて邪な考えを持っていたことを認める。映画監督として、表現者として、そして何より人として最低だ。僕は焦っていた。『似た者同士』が評価を得ることができず、自主映画で成功する道を模索した結果、早まった行動を取ってしまったのだ。企画を思いついた時、僕自身がこの出来事、および「死」という答えのないテーマに対して自分なりの答えを見出したわけではなかった。むしろこの映画を制作する過程で自分なりの答えを見つけようとしていた。だがそれがお母様にうまく伝わらず、それ以前にあまりにも身勝手な考えだ、結局は自分本位なのかということを厳しく批判された。お別れの会から2年半経っても、僕は事の重大さを全く分かっていなかったのだ。お母様に取材ができなくなった僕は、企画を実現させるか否かを考えるためにも、まずはKさんをはじめとする彼の友人に話を聞くことにした。その中で僕は、何も分かっていなかったことにようやく気付いた。事情が複雑で、単なる交通事故ではなかったこと。それゆえ「加害者」がいないこと。ご家族は今でも、遺骨を収められていないことなど。そんな状況の中で僕の身勝手なお願いに応じてくださったお母様に、僕は取り返しのつかないことをしてしまった。僕はそれ以降、頭の片隅でずっと、この企画のことを考え続けている。この企画をどうすれば良いのか。僕はどうすれば良いのか。