第2章 大学2年生②

 

この年の夏は母校・湘南高校に関する出来事が多かった。まず湘南高校100周年の記念映像の制作である。もともと現役時代に放送部による記念映像制作のお話を頂いていた。100周年を目前に控えたこのタイミングで再びこの企画を動き出すことにしたのだった。しかしコロナウイルスによって大幅な企画の変更を余儀なくされるなど、困難は降り掛かった。それでも様々な業界の第一線で活躍されるOB・OGの方々にインタビューし、現役生や現役時代の後輩の協力を得ながら、2021年に完成を迎えた。湘南高校のために何かできるということは自分にとっても嬉しいことであり、何より楽しかった高校時代に戻れるような気がした。次に同窓会ビデオのメッセージ動画の撮影である。2021年に同窓会が予定され、そこで上映するビデオの制作を依頼された僕は、お世話になった担任の先生などにビデオメッセージを頂くために同窓会幹事と共に来校した。同窓会ビデオはその先生方からのメッセージと、皆から集めた高校時代の写真を音楽に乗せて流すという内容で、現役時代に卒業する先輩を送り出す予餞会で上映したビデオと似ていた。僕はこの予餞会ビデオが大好きだったので、同じような映像を再び作ることができたのはとても楽しかった。


そして忘れてはならない、Revərsiのラジオ編集だ。Revərsi(リバーシ)とは高校時代の同級生の女子2人組によるツインボーカルユニットで、僕と同じ軽音楽部に所属していた。軽音部の中では珍しくオリジナル曲を制作しており、圧倒的なセンスと歌唱力を武器に校内で絶大な人気を誇っていた。僕は2人の才能に惹かれ、ある時彼女たちに曲のMVを制作しないかと持ち掛けた。2人は僕の提案に快く乗ってくれた。僕は放送部で培った撮影技術を総動員して制作に打ち込んだ。そうして完成したのがRevərsi初のオリジナル曲「道」のミュージックビデオである。現在に至るまで、僕が監督した唯一のMV作品だ。YouTubeに公開後瞬く間に拡散され、楽曲と共に今でも多くの人に愛されている作品になった。さらに今度はCD制作を持ち掛け、高校最後の文化祭で無料配布をしないかと提案した。2人は快諾してくれたが、僕はNコンに出品する創作ドラマの制作も同時並行で行うという暴挙に出たため、超が付くほどの多忙な日々を送ることになった。しかもそのドラマにはRevərsiの一人が出演することになっていたり、3人共掛け持ちしている他の部活での発表もあったりと、地獄のような日々が幕を開けた。当時の僕にはCD制作やミキシングに関する知識など全くなかったので、インターネットで1から作り方を学び、放送部で得た録音技術を生かし灼熱の放送室で曲をレコーディングした後、他の部活からPCを借りてパッケージングを行った。より本物に近づけるために歌詞カードも作成し、マット紙を購入するなど自分なりに細部までこだわった。文化祭が近づくにつれて作業は深夜まで及び、一度廊下で倒れたこともあった。それでもRevərsiの2人をはじめ、他の放送部員の助けもあって無事CDは完成、文化祭当日を迎えた。すると1日目は開始1時間で即完、2日目も午前中で完売という快挙を成し遂げ、見事約200枚を捌き切ったのである。僕は2人と言葉にならないくらいの喜びを噛み締め、分かち合った。これが僕のかけがえのない青春のハイライトである。そんなRevərsiも卒業を機に第1章を「閉幕」し、しばらく活動を休止していた。しかし2020年の結成記念日に、突如ツイキャスでラジオ放送を行ったのである。思わぬ出来事に僕らファンは歓喜した。後日Revərsiにラジオの感想を伝えると、その放送の文字起こし版を作成したいと考えている、と告げられた。僕は真っ先に編集をやらせてくれと頼んだ。またRevərsiと活動ができる、Revərsiのために何かすることができる。僕にとってこれ以上ない喜びだった。僕は頼まれていた他の動画編集を全て中断して、朝から晩までひたすら文字起こしに明け暮れた。そして2人に送信し、2人の確認を待った。しかし待てと暮らせど確認の連絡が来ない。忙しいのかな、と思ってしばらく待っていたが、その後もいっこうに連絡が来ない。1ヶ月が過ぎ、流石に痺れを切らして催促をした。ただその時の文面が誤解を招き、口論に発展してしまったのだ。僕は全ての作業を棚に上げて編集したために、その熱意を2人が同じように返してくれないことに腹が立った。しかし2人は本当に確認ができない程忙しかったらしく、また僕の事情も2人に伝えていなかったので、互いに理解が及ばなかったことが口論の原因の一つだった。あの青春の日々を再び取り戻そうと躍起になり、盲目的になってしまっていたことに、この時の僕は気付かなかった。動画が公開された後、冷静になった僕は謝罪の文章を送り、Revərsi側からも謝罪が来て事態は収束した。1年前の文化祭で感じた、もうあの日々には戻れないという事実から目を背け、湘南高校と関わり続けた僕だったが、このRevərsiとの一件でまたしてもこのことを強烈に突き付けられてしまったのだった。


さて、オンラインで開催された早稲田祭の映研上映会でも流してもらった『似た者同士』。順調かに思えたが、その年の早稲田映画まつりの1次審査で落選してしまう。思い入れがある作品だったために、この結果には非常に落胆した。同時に、社会的な評価が得られなかったということに焦りを感じた。なぜならコロナ禍が始まった頃、国立映画アーカイブで行われた新人監督特集に足を運んだからだ。前年の映画まつり以来、自主映画への関心を高めていた僕にとってこの特集は絶好の機会であった。そこで流れていた作品はいずれも、名だたる映画祭で受賞を果たしたものだった。僕は自主映画の道で成功するためには、賞を取ることが重要であるということを学んだ。さらに11月に行われた東京国際映画祭に、映研のOB・OGの方々が制作した『初仕事』という作品が上映されるということで、特別にご招待頂いた。この『初仕事』という作品が非常に素晴らしかった。アシスタントカメラマンの主人公は先輩の知り合いからの撮影依頼を受けることになるが、それは亡くなった赤ん坊の写真を撮影してほしいという内容だった。初めは躊躇う主人公だったが、被写体と向き合ううちにその撮影にどんどんのめり込んでいってしまう、というストーリーだ。この作品を観た数日後、僕の頭にある考えが浮かんだ。それはのちに、僕を狂わせることになるのだった。